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どろろアニメの打ち切り理由は?1969年版とリメイク版を解説

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手塚治虫が生んだ不朽の名作『どろろ』。その壮絶な物語に触れ、どろろアニメの打ち切り理由について詳しく知りたいと考えている方も多いのではないでしょうか。1969年に放送されたアニメがなぜ途中で終わってしまったのか、また、2019年に制作されたリメイク評価はどのようなものだったのか。

インターネット上では、物語の展開に対して最終回ひどい、あるいはアニメひどいといった厳しい声が見られることもあります。さらに、物語の核心に触れる、主人公の相棒であるどろろは本当に女の子なのか、百鬼丸結婚の可能性はあるのか、そしてそもそもアニメは全何話構成だったのか、といった数々の疑問も尽きません。

この記事では、これらの謎と打ち切りの背景を、原作漫画の状況から1969年版アニメ、そして現代に蘇った2019年版リメイクに至るまで、多角的に紐解いていきます。

この記事でわかること

ポイント

  • 1969年版アニメと原作漫画の打ち切りの背景

  • 2019年リメイク版が高く評価される理由

  • 「最終回がひどい」と言われる結末の解釈

  • どろろと百鬼丸のキャラクター設定の謎と魅力

 

1969年版どろろアニメの打ち切り理由を探る

  • 原作漫画が打ち切りになった悲しい背景

  • 結局1969年版アニメは全何話?

  • 暗いテーマがアニメひどいと言われる訳

  • 物語の鍵を握るどろろは実は女の子

  • 打ち切り説に対する当時のファンの感想

 

原作漫画が打ち切りになった悲しい背景

『どろろ』の物語を語る上で、まず触れなければならないのが原作漫画が未完のまま連載を終えたという事実です。

その主な理由は、1960年代後半という連載当時の少年漫画市場において、作品の持つ暗く重厚なテーマが読者層に広く受け入れられなかったことにあります。戦乱の世を背景に、生まれながらにして身体の48カ所を鬼神に奪われた少年・百鬼丸が、妖怪を倒して身体を取り戻していくという物語は、非常に独創的でした。しかし、当時の少年漫画の主流であった明るく明快な作風とは一線を画しており、グロテスクな描写や救いのない展開は、主な読者層である少年たちから敬遠されがちだったのです。

結果として、1967年から連載が始まった『週刊少年サンデー』での人気は伸び悩み、連載は途中で終了。その後、掲載誌を『冒険王』に移して物語は続けられましたが、手塚治虫先生自身の多忙さなども重なり、全ての鬼神を倒しきる前の段階で、物語は完結を迎えることなく幕を閉じてしまいました。この原作の「未完」という事実が、後のアニメ化にも大きな影響を与えることになります。

結局1969年版アニメは全何話?

原作が未完のまま終了した一方、1969年に放送された最初のテレビアニメ版は、全26話をもって一つの物語として完結しています。

これは、原作が完結していない以上、アニメ制作陣が独自の解釈で物語の結末を描く必要があったためです。アニメは、原作の持つダークな世界観やテーマ性を踏襲しつつも、オリジナルの展開や結末を用意することで、26話という枠の中で物語を締めくくりました。そのため、厳密には「打ち切り」ではなく、制作側の意図によって「26話で完結した」と捉えるのがより正確かもしれません。

ちなみに、この1969年版は、放送途中でモノクロからカラーに切り替わったというテレビ放送史的にも興味深い特徴を持っています。前半の13話がモノクロで、後半の14話からがカラー放送となっており、この変化が作品の雰囲気に異なる印象を与えています。

項目

1969年版アニメ

2019年版アニメ

放送期間

1969年4月~9月

2019年1月~6月

話数

全26話

全24話

制作会社

虫プロダクション

MAPPA、手塚プロダクション

特徴

前半モノクロ、後半カラー

フルカラー、現代的な作画・演出

結末

アニメオリジナル

原作を再解釈したオリジナル

 

暗いテーマがアニメひどいと言われる訳

『どろろ』の感想として時折見られる「アニメひどい」という言葉は、作品の品質が低いという意味合いで使われることは稀です。多くの場合、この表現は物語の持つ、見る者の心を抉るような「残酷さ」や「痛ましさ」に対する感情的な反応から来ています。

百鬼丸は、鬼神を一体倒すごとに身体の部位を取り戻しますが、それは必ずしも喜ばしいことばかりではありません。例えば、声を取り戻せば自らが発する苦痛の叫びを聞くことになり、足を取り戻せば大地を踏みしめる痛みを知ることになります。人間性を取り戻す過程そのものが、新たな苦痛を生むという非常に皮肉な構造になっているのです。

加えて、物語の舞台となる戦乱の世では、人間のエゴや欲望が渦巻き、罪のない人々が次々と犠牲になっていきます。救いのないエピソードも多く、視聴者はやり場のない怒りや悲しみを感じることが少なくありません。こうした強烈な感情的インパクトが、「見るのが辛い」「あまりに痛ましい」といった意味を込めて「ひどい」という言葉で表現されていると考えられます。

物語の鍵を握るどろろは実は女の子

物語のタイトルにもなっている百鬼丸の相棒・どろろは、一見するとやんちゃな少年ですが、物語の重要な事実として、実は女の子であることが明かされます。

これは、彼女が戦乱の世を生き抜くための知恵でした。盗賊だった両親を失い、孤児となったどろろは、か弱く見られることを避けるために男の子として振る舞い、自身の身を守っていたのです。この設定は、彼女のキャラクターに大きな深みを与えています。

男の子のように気丈に振る舞いながらも、時折見せる優しさや繊細さは、彼女が背負ってきた過酷な運命を感じさせます。特に2019年のリメイク版では、このどろろの性別に関する描写がより丁寧に描かれており、彼女の持つ強さや健気さ、そして百鬼丸との絆の尊さを際立たせる重要な要素となっています。百鬼丸が人間性を取り戻していく過程で、どろろの存在がいかに大きな支えであったかが伝わってきます。

打ち切り説に対する当時のファンの感想

原作漫画、そして1969年版アニメが結果的に不完全な形で終わったことに対し、当時のファンからは様々な声が上がりました。

やはり最も多かったのは、物語の結末が見られないことへの失望や、打ち切りを残念に思う声です。手塚治虫が本来構想していたであろう本当の結末を知ることができなくなったことへの未練を感じるファンは少なくありませんでした。作品が持つ独特の魅力やテーマの深さに気づいていた人々にとっては、あまりに早すぎる幕引きだと感じられたのです。

一方で、後年になると、未完であること自体が『どろろ』という作品の伝説性を高めたという見方も生まれます。物語に想像の余地が残されたことで、ファンそれぞれが百鬼丸とどろろの旅の続きを思い描き、作品について語り合う文化が生まれました。打ち切りという事実は、ある意味で作品をファンの心の中に永遠に生き続けさせる、一種の装置として機能したとも言えるかもしれません。

リメイクで再評価されたどろろアニメ打ち切り理由

  • 2019年版の気になるリメイク評価

  • 結末が最終回ひどいと言われる真相

  • 百鬼丸結婚の未来は描かれたのか?

  • 百鬼丸とどろろの唯一無二の関係性

  • 時代を超えて名作と語り継がれる魅力

  • 総括:どろろアニメ打ち切り理由と再評価

 

2019年版の気になるリメイク評価

原作の連載終了から約50年の時を経て制作された2019年版リメイク『どろろ』は、国内外の幅広い世代から非常に高い評価を受け、大成功を収めました。

この成功の要因は、原作への深いリスペクトと、現代的な感性を取り入れた大胆な再構築の見事な両立にあります。制作を担当したMAPPAと手塚プロダクションは、原作の持つ「人間性の探求」という核となるテーマを大切にしながら、ストーリーやキャラクターの心理描写をより深く掘り下げました。

高く評価されたポイント

特に評価されたのは、圧倒的なクオリティを誇る作画です。ダイナミックで迫力あふれる戦闘シーンは多くの視聴者を魅了しました。また、百鬼丸が失われた感覚を取り戻すたびに感じる混乱や苦悩を丁寧に描くことで、視聴者が彼の心情により深く共感できるような工夫が凝らされています。原作では描ききれなかった部分を補完し、一つの完成された物語として昇華させた点が、旧来のファンと新しい視聴者の双方から絶大な支持を集める理由となりました。

結末が最終回ひどいと言われる真相

2019年版リメイクは高い評価を得た一方で、その最終回に対しては「ひどい」という感想も一部で見られます。これは、物語が単純なハッピーエンドを迎えなかったことに起因します。

リメイク版の結末は、原作とも1969年版アニメとも異なる、オリジナルの解釈で描かれました。百鬼丸は最終的に自身の身体をすべて取り戻しますが、その代償はあまりにも大きなものでした。父・醍醐景光が治めていた国は平和を失い、多くの人々が犠牲になります。これは、個人の幸福が必ずしも全体の幸福に繋がるとは限らないという、重い現実を突きつけるものでした。

そして物語の最後、百鬼丸とどろろは共に旅を続けるのではなく、一度別れてそれぞれの道を歩むことを選びます。もちろん、未来での再会を強く匂わせる希望に満ちた別れではありますが、視聴者によっては、このビターで割り切れない結末が「悲しい」「救いがない」と感じられ、「ひどい」という言葉での表現に繋がったと考えられます。単純な勧善懲悪に終わらない、深い問いを投げかける結末であったが故の賛否両論と言えるでしょう。

百鬼丸結婚の未来は描かれたのか?

物語を通じて強い絆で結ばれる百鬼丸とどろろですが、原作および二度のアニメ化作品において、百鬼丸が誰かと結婚する未来が明確に描かれたことはありません。

物語の主眼は、あくまで百鬼丸が自身の身体と人間性、そしてアイデンティティを取り戻すための壮絶な旅路に置かれています。そのため、恋愛や結婚といった要素がテーマの中心として扱われることはありませんでした。彼の旅は、自己の確立に向けた内面的な闘いが主であり、ロマンスが入り込む余地は少なかったのです。

しかし、特に2019年版アニメのラストシーンは、ファンの想像力を大いに掻き立てました。別々の道を歩んだ二人が、成長した姿で再会する未来を暗示するような描写で物語は幕を閉じます。この余韻のある結末から、多くのファンが「この後、二人は結ばれるのではないか」といった考察や、そうであってほしいという希望を語っています。明確な答えを提示しないことで、物語は視聴者の中で永遠に続いていくのかもしれません。

百鬼丸とどろろの唯一無二の関係性

『どろろ』という作品の魅力の核には、百鬼丸とどろろの唯一無二の関係性があります。二人の関係は、単なる旅の道連れや友人といった言葉では言い表せない、非常に深く複雑なものです。

生まれた時から視覚も聴覚も、そして痛みすら感じることができなかった百鬼丸にとって、どろろは外の世界と自分を繋ぐ唯一の存在でした。どろろの声や温もりに触れることで、百鬼丸は少しずつ感情や人間らしさを学んでいきます。どろろがいなければ、百鬼丸は鬼神を倒すだけの、心のない存在のままだったかもしれません。

一方で、どろろにとっても百鬼丸は特別な存在です。過酷な世の中で孤独に生きてきたどろろは、百鬼丸を守り、支えることに自身の存在意義を見出していきます。お互いがお互いを必要とし、欠けた部分を補い合いながら共に成長していく。この相互補完の描写こそが、多くの読者や視聴者の胸を打ち、物語に深い感動を与えているのです。

時代を超えて名作と語り継がれる魅力

原作の打ち切りから50年以上が経過した現在でも、『どろろ』が色褪せることなく名作として語り継がれる理由は、その物語が持つテーマの普遍性にあります。

「自分とは何か」「人間らしさとは何か」というアイデンティティを巡る問いかけは、いつの時代の誰の心にも響く根源的なテーマです。身体を奪われた百鬼丸が、それを取り戻すために戦う姿は、私たちが社会の中で失いかけた自己を取り戻そうと奮闘する姿に重ね合わせることができます。

また、戦争がもたらす悲劇や、人間の持つ業の深さといった社会的なテーマも、作品に奥行きを与えています。これらの普遍的なテーマを手塚治虫という卓越したストーリーテラーが描いたからこそ、『どろろ』は単なる時代劇や妖怪譚に留まらない、深い人間ドラマとして成立しているのです。2019年のリメイク版の成功は、この作品の持つ魅力が時代を超越した本物であることを改めて証明しました。

総括:どろろアニメ打ち切り理由と再評価

この記事では、『どろろ』が歩んできた複雑な歴史と、打ち切りという事実を超えて愛され続ける理由を解説しました。最後に、重要なポイントをまとめます。

  • 1969年版アニメは全26話で制作側の意図により完結した

  • 原作漫画は当時の人気低迷により未完のまま終了した

  • 打ち切りの主な理由は暗く重いテーマが市場に合わなかったため

  • 当時の少年漫画は明るい作風が主流だった

  • 「アニメひどい」は品質ではなく残酷で痛ましい内容への感想

  • どろろは戦乱の世を生き抜くために男装した女の子

  • 2019年のリメイク版は国内外で非常に高い評価を獲得した

  • リメイク版は作画品質と丁寧な心理描写が魅力とされる

  • リメイク版の最終回はビターで解釈の分かれるオリジナル展開

  • 「最終回ひどい」は単純なハッピーエンドではないことへの声

  • 百鬼丸が結婚する未来はどの作品でも明確には描かれていない

  • ファンの間では百鬼丸とどろろの未来が様々に考察されている

  • 二人の相互に支え合う関係性が物語の核となっている

  • アイデンティティの探求という普遍的なテーマが多くの人を惹きつける

  • 打ち切りという歴史を含め、今なお語り継がれる不朽の名作である

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